養徳継心の日本空手楽会

真面目な話から間抜けな話まで。

二十八歩[ニーパイポ]について

糸東流には糸洲・東恩納系統の他に、中国人(福建省福州出身)呉賢貴からの伝による鶴法なども伝承されていることは、少し空手に詳しい方なら、どこかで聞いたり、或いは武術誌などの記事を読んでご存知だと思う。

その糸東流鶴法の代表的な形である二十八年[ニーパイポ]は、今や全空連指定型にもなり、高段者のみならず、地方の大会で小学生でもやるぐらいメジャーな形となっている。しかし、そのニーパイポがどこから来たのかについて詳しく知る人は糸東流でも少ない。せいぜい「これは中国拳法の形ですよ」ぐらいにしか聞いていないのではないだろうか。

 私は同門や保護者の方から「ニーパイポはどの系統の形ですか?」と質問される度に、「おそらく、中国の福建省福州の鶴拳から来た形です。」と答えていたが、ポカーンとする方やイマイチ納得がいかないという方も多かった。思うに、中国武術一般、特に南派拳術がまだまだ日本人にとって馴染みがない上に、鶴拳という名称が不思議なイメージを生んで、ニーパイポと照らし合わせたときに?となっているのだろう。

 一般に空手修行者は、子どもの保護者も含めて歴史的な事ににそこまで関心はなく、ましてや中国武術の事まではなかなか調べない。だからそれを逆手にとり、自身の商売や名誉欲のために形や歴史を捏造する者もいる。そういった事を防ぐため、そして何より自分達がやっている形がどうやって今に伝わったのかを知ってもらうために、空手形ニーパイポについて、今まで調べた事を書いておきたい。

空手形ニーパイポが鶴拳からきてると言われるわりには、片足立ち(いわゆる鷺足立ち)で両掛手をする部分しか鶴っぽく見えないかもしれない。しかし、これは当たり前の話で、空手形ニーパイポの元になった福州鶴拳二十八歩[ネーパイプ](派によって歩は宿とも肖とも書く)は南派羅漢拳から福州鶴拳に取り入れられた型のため、元々鶴を思わせる動作が少ないのである(尚、福州鶴拳二十八歩が空手型になり、日本でニーパイポやネーパイ、ニッパイポと発音・表記されるようになったのは、日本語は母音が少なく、うまくヒアリング・発音・表記をする事が困難だったために起きた事だと思われる)。

私は2010年8月に、台湾で太極拳と福州鶴拳の一種である鳴鶴拳を教授している鄭顕氣[ていけんき]老師を訪問し、鳴鶴拳の二十八歩(ただし、鄭老師のところでは二十八肖と書く)を直に見せていただく事ができ、細部は違うが大まかな型の流れ・構成が同一のものである事を確認できた。また、その他の資料により、他の派の鳴鶴拳の二十八歩の動作も知る事ができ、基本的にはどの派も大同小異で、中にはより空手に近いものも存在する事も知った。

呉賢貴の拳術鳴鶴拳という保証はないが、現在資料で糸東流にも伝承された八歩連[パープーレン]と二十八歩が2つ共カリキュラムに存在する事が確認できるのは、鳴鶴拳と日本であまり知られていない儒鶴拳のみで、儒鶴拳は今のところ台湾以外では伝承が確認されていない為、除外してよいと考えている(ただ、資料にはないが、他に八歩連と二十八歩を2つ共有している門派がないとは言い切れないので、これからも調査していきたい)。他に考慮すべき証言だが、呉賢貴の型には鶴の鳴き声のような気合いを入れる部分があったという(金硬流の又吉眞豊先生から聞いたと金城昭夫氏の著書にある)。これは鳴鶴拳の特徴である。ただ、呉賢貴の時代には、福州鶴拳の門派がもう少し未分化だった可能性もあり、これは今後さらなる調査の必要がある。しかし、現在確認できる範囲でも、少なくとも呉賢貴の門派は鳴鶴拳と同系の拳術と確定してもよいと考えている。

 

空手形ニーパイポ鳴鶴拳二十八歩の型構成の比較だが、挙動として似ている部分は左手を前に出してからの右手による挟み打ち2回と、その前後に見られる外腕で流してからの諸手突き、腰を落としての肘打ちからの拳槌打ち(鳴鶴拳では裏拳)、前半の最後における片膝を地面についての攻撃、後ろ正面を向いてからの両掛手からの膝上げ(鳴鶴拳では蹴り)、その後の掌を前後に向き合わせた状態での両手攻撃、正面に向き直って抑えてからの二連抜き手、再び後方に向いてからの煽り蹴り二回、その後の横受けからの突き左右などが挙げられる。そして、何より演武線、型の構成が近似している。

呉賢貴がこの型を摩文仁賢和に伝えて90年前後。その時間を考慮すれば、これだけ類似性があれば十分ではないだろうか。

ニーパイポについては、最後に書いておかなければならない事がある。

数年前、型競技で有名な宇佐美里香選手が古流ニーパイなる型を演武した。動画サイトでも挙がっているから、ご覧になった方もいるかもしれないし、ニーパイポの古いやり方だと思っている方もいるかもしれない。だが、はっきり言ってこの古流ニーパイという型は、元々の糸東流に関係もなければ鳴鶴拳にもない型である。

現行のニーパイポに比べて挙動数も多く、鶴を思わせる動作も少し多いので、一見するとこちらが古いと感じる。しかし、そこが落とし穴である。冷静に見ると、全体として他の空手型からとった動作が散見される。出始めや中間にでてくる動作はクルルンファに類似しているし、シソーチンやパッサイ、古い上地流のセーサンからとったような動作がでてくる。これらは鳴鶴拳には見られないものである。何より古流を名乗る上で致命的なのは、引き手を水月前に構える現代式の手刀受けがあるところである。空手に見られる下段払い・上げ受け・内受け・外受け・肘くり受けなどは、少々角度は違っても、全て中国武術に存在する。しかし、この引き手を水月前に構え、前後に分けるようにする手刀受けだけは、鳴鶴拳どころか中国武術全般に存在しないと思う。また、この動作は空手が本土に入って以降工夫されてできたものとも考えられ、沖縄の古い型の手刀受けでは、後手は前手の肘辺りに持っていき、両手ごと前に出すようにする場合が多い(このやり方なら中国武術にも近いものがある)。なによりこの古流ニーパイは型構成がかなり鳴鶴拳二十八歩と違う。前半は似てる部分もあるが、後半に入るとかなり違い、連続の貫手や煽り蹴りさえない。では鳴鶴拳の他の型にこういった構成のものや近い名前のもとがあるかといえば、これはないのである。ここで鳴鶴拳の型を挙げてみる。

八歩連[パープーレン]

中框[チュウコン]

二十八歩[ネーパイプ]

ここまではどこの派にもあり、鳴鶴拳の必須的な型だと思う。他に派によってある型としては

柔箭[ユチェン]

七景[チギン]

柔鶴[ユフォ]

花八歩[ホワペップ]

下框[シャンコン]

 

がある。

以上が資料で確認できる型であるが、「ネーパイ」や「ニーパイポ」と読める型は1つしかないのがわかる。どこにも大幅に構成の違う「ニーパイ」という型は存在しない。

先に述べた動作や構成上の理由からも、宇佐美選手の演じた古流ニーパイなる型は現行のニーパイポを叩き台にした創作型の印象が強い。はっきり言えることは、空手型ニーパイポとその原型と考えられる鳴鶴拳二十八歩が類似している以上、それらと大幅に違うニーパイはとても古流と呼べる代物ではないということである。このような型をより原型に近い古流型とすることは、呉賢貴と摩文仁賢和の交流、そして確かな伝承を冒涜するものではないだろうか。

 大正〜昭和初期にかけて1人の中国人から伝わった中国武術の型が、大枠を崩すことなく工夫されて受け継がれ、今や世界に広がったのである。しかもその原型は失われることなく、中国武術に現存している。これは驚嘆すべきことだし、それを可能にした先人達の努力に敬意を表せざるを得ない。現代に生きる我々は歴史を大切にし、先師の交流や努力を嘘で踏みにじることがないようにしたい。

 


 

 

お断り

歴史や型のことについてはできるだけ間違いや恣意的な誘導のないように書くつもりですが、人間ですから勘違いや記憶違いもあります。

誤りや新事実があればその都度訂正していくつもりですが、あくまで1人の人間がブログで言っていることなので、完全に間に受けないようにお願い致します。

 

ブログ開設にあたって

初めて空手に触れてから23年が経ちました。

師がご存命の頃から許可を得て、興味の赴くままに空手を中心に中国武術や古武道を学び、またその歴史も調べてきました。

修行年数の割に拙い実力ですが、先生方から受けた教えや自分なりに気づいたこと、調べたことを差し障りのない範囲で発表するのは、自分1人の頭の中に入れておくより有意義ではないかと考えました。

メジャーな話ではないですが、少しでも興味を持ってくださる方の目に留まれば嬉しいです。